子供の頃から千葉県内の海は片っ端から遊び倒してきたけれど、「いちばん水質のいい海水浴場はどこ?」と訊かれたら、ぼくは迷わず「千倉海岸」と答える。
都市から離れているうえに外洋に面した千倉海岸は、いつも黒潮に洗われているから海水がフレッシュなのだろう。
波が穏やかなときに海に入ると、胸まで浸かっていても自分の足の指がよく見えるほどだ。
さらに、「千葉県内でいちばん好きな道は?」と訊かれたら、ぼくは「フラワーライン」と答える。信号がほとんどない海沿いの道路で、その名の通り、道路脇はまさに「花だらけ」なのだ。
美しい海と、花々に彩られた道路――。

その道沿いに、ぼくのお気に入りの喫茶店「サンドカフェ」はある。
この店は完全にマスターの込山敏郎さんの「趣味の店」と言っていい。風見鶏(というか風見鯨)を屋根にのせたブルーの外観はもちろん、店内の隅々にいたるまで、小説『老人と海』の世界観が見事に演出されているのだ。
マスターは、アメリカが生んだ文豪、アーネスト・ヘミングウェイの大ファンなのである。

久しぶりに店を訪れたぼくは、丁寧にドリップしてくれるコーヒーと、店の看板ともいえる「さざえカレー」を堪能した。
このカレーをひとことで言うと「深いコクを味わうカレー」となる。お腹がいっぱいなのに、そのコクを追いかけているうちに、うっかり完食してしまうという悪魔のカレーである(笑)

この日は、マスターがとても貴重なものを見せてくれた。
なんと、1952年9月1日発売号の『LIFE』誌である。
あの世界的な名作『老人と海』は、この誌面に全編が一挙に発表されたのだ。
古い、古い、アメリカの雑誌だから、ページのあちこちが擦り切れたような状態だけれど、それがむしろ「サンドカフェ」にはよく合っていると思う。この店は、コーヒーや食事と一緒に、ヘミングウェイの著した世界観を味わう場所なのだ。
それにしても、こんな貴重な雑誌まで入手しているだなんて、マスターのヘミングウェイへの執心ぶりがうかがえるではないか。

「サンドカフェ」のとなりには、小さな雑貨店「デッキシューズ」が併設されている。
こちらは海に関する様々な小物や衣類などが売られているのだが、海好きなぼくは、どの棚を眺めてもワクワクしてしまう。
「サンドカフェ」のオリジナルデザインのウェアなどもここで購入できる。
ちなみにぼくは「サンドカフェ」オリジナルのマグカップを愛用していて、日々、執筆のお供となっている。

もちろん、いまあなたが読んで下さっているこの原稿も、そのカップでコーヒーを飲みながら書いています。
千倉の潮風と『老人と海』の世界に想いを馳せながら。

◇ ◇ ◇
千葉県には「絶景」と称されるべき眺望を誇る喫茶店が二つある(とぼくは思っている)。
そのひとつは、内房側にある「音楽と珈琲の店 喫茶岬」だ。
無人の岬の先端にぽつんとたたずむその小さな店は、高台から東京湾を一望できるだけではなく、対岸に富士山を望めるのがいい。
ぼくは、この喫茶店の風情に感動して『虹の岬の喫茶店』という小説を書き、それが吉永小百合さんの目に留まって映画『ふしぎな岬の物語』が公開となった。
かつては「知るひとぞ知る」喫茶店だったのだが、いまや有名な「観光地」になってしまった。

もうひとつは、今回ぼくが初めて訪れたカフェ「GAKE」である。
こちらは外房側、つまり太平洋の水平線を高台から一望できる店だ。
以前からこの店の噂をあちこちで聞いていたので、ぼくとしては「ようやく来られた」という感慨すらあった。
そして、幾多の噂は、まさにそのままだったのだ。
「GAKE」の庭、紺碧の水平線を見晴るかす崖の際に立ったぼくは、思わず「おおおおお〜っ」と声を出してしまった。
広々!
とにかく、この漢字二文字である。
太平洋を渡ってきた海風が崖にぶつかり、下から吹き上げてくる。
その上昇気流にのったトンビが、ぼくの頭上をふわりふわりと旋回しながら「ピ〜ヒョロロロ」と歌う。
ぼくは庭に置かれたブランコやベンチに腰掛けて、存分に風景を堪能してから店内へと入っていった。

店内がまたおもしろい。
どこを見ても「骨董品」だらけなのだ。
古本、絵画、模型、雑貨、楽器、レコード、オブジェ、鳥かご、地球儀、家具……。


店主の瀬山周一さんが集めてきた品々は、そのほとんどが「商品」なので、気に入ったら購入することもできるそうだ。

ガトーショコラとコーヒーを味わったぼくは、店内をうろうろしながら宝探しのつもりで骨董品を手に取り、眺めていた。
ふと顔を上げれば、窓の向こうは開放的な太平洋のブルー。
なんて贅沢な時を過ごせるカフェだろう――。
よくよく考えてみれば、このカフェそのものが宝物ではないか。
そのことに気づいて、ぼくはため息をついた。
お世辞ではなく、本当に素直にそう思う。

春夏秋冬。
晴れた日、雨降りの日。
いろいろな太平洋の表情を眺めながら、ゆったりとコーヒーを味わいたい。
房総の西は「喫茶岬」、南は「サンドカフェ」、そして、東の「GAKE」。
ぼくのなかの「三大房総カフェ」は、これで決まりである。

【SAND CAFE】
〒295-0004
千葉県南房総市千倉町瀬戸2908-1
TEL: 0470-44-5255
【GAKE】
〒299-4503
千葉県いすみ市岬町和泉2404-21
TEL: 050-7551-2238
HP: https://linktr.ee/gakeinfo
喫茶岬の店舗情報は下記記事を御覧ください
作者:森沢明夫
写真:鈴木正美
写真アシスタント:重枝龍明
編集:西小路梨可(主婦の友社)

