バイクを乗り回していた高校時代から、数え切れないほど遊び倒してきた房総半島には、思い入れのある土地がたくさんある。
なかでも外房の勝浦は、五指に入るほど好きな漁師町だ。
荒磯と砂浜の両方を楽しめる美しい海。
その海のすぐそばまでせり出している緑の深い山々。
温泉があり、展望台があり、魚が新鮮で、町の人たちの気質が明るいうえに、ぼくの趣味の釣りが出来るのもいい。
そんな勝浦の代名詞とも言えるのが「日本三大朝市」のひとつに数えられる勝浦の朝市である。ちなみに他の二つは、輪島の朝市(石川県)と高山の朝市(岐阜県)だ。

ぼくは三つとも行ったことがあるけれど、はっきり言うと勝浦がダントツで好きだ。観光地化されすぎてしまった輪島と高山と比べると、勝浦の朝市にはまだ「昔ながらの庶民の生活感」が残されていて、そのおっとりした風情に癒されるのである。
久しぶりに勝浦の朝市を訪れたこの日も、ほっかむりをした農家のおばあちゃんが道端にお尻をぺったり着けて座り、地べたに敷いたシートの上に朝採りの野菜を並べていた。お客を見ても、しつこく「ほら、買っていってよ、お兄ちゃん」などと言わないで、お地蔵さんみたいに黙ってにこにこしている。
そうそう。この雰囲気が勝浦の朝市のいいところなんだよ。
まさに、旅情そのもの––。

おばあちゃんの笑顔が、ぼくにまで伝染してくるのだ。
鮮魚を扱う露店を覗くと、指で弾いただけで身割れしそうなほどプリップリに太ったカツオや、水に入れたらとたんに泳ぎだしそうなほど透明な目玉をしたサバが、たっぷりの氷の上に並べられている。

さらに、市場の通りを歩けば、手作りの佃煮や漬物の店があるかと思えば、乾物屋、木工細工店、藁細工などの店まである。
高校時代からこの朝市に通っているぼくには、じつは、お気に入りの店が二つある。
その一つ目は、わらび餅の南蛮屋だ。
南蛮屋のわらび餅を初めて食べたとき、ぼくは、あまりの美味さに「んー!」と意味不明な声を出したものだ。ぼくの知る限りでは「日本一のわらび餅」である。

氷水でよく冷やされたわらび餅は、口に入れると「トゥルン♪」と舌の上で踊りながら溶けていく。しかも、踊りながら口の中いっぱいに黒蜜の甘みを広げてくれる感覚がいいのだ。
きな粉と黒蜜の「プレーン」の他に、練乳をかけて食べる「ミルク風味」と「黒ごま風味」もある。もちろん、どれを食べても美味しいし、ひと舟二〇〇円と廉価なのも嬉しい。

この店では、たいてい試食をさせてくれるので、もし、あなたが勝浦の朝市を訪れたなら、まず無料で味見をして欲しい。そのとき、思わず「んー!」と目を丸くしてしまったなら、ぼくの仲間だ。あなたはきっと試食では足りず、すぐさま買って食べるだろうし、食べ終えたら、ついつい違う味も試してみたくて「お代わり」も食べてしまい、さらに、誰かへの「お土産」まで買ってしまうと思う。この日のぼくが、まさにそうしたように。

ぼくのお気に入りの露店、二軒目はというと−−。
じつは、竹細工の店(竹細工工房 福山)なのだけれど、残念ながらこの日は、ご主人がどこかに出張しているらしく、お店が出ていなかった。
いつものぼくは、この竹細工店で「うぐいす笛」をまとめ買いしている。だいたい一〇〜二〇個くらいを買い占めては、仲良くなりたい人と会うときなどに、手軽で愉しい「プレゼント」として使っているのである。
ちょっと想像してみて欲しい。初対面の相手から竹細工の「うぐいす笛」をプレゼントされて、その笛で「ホーホケキョ♪」と上手に吹けたときのことを。あなたはきっと満面の笑顔を浮かべて、プレゼントしてくれた相手を見ているでしょ?
この「うぐいす笛」の値段は、ひとつ二〇〇円くらいだったはず。それくらいの値段で、初対面の人と瞬時に仲良くなれるとしたら、とてもお安い買い物だと思いません?

今回、竹細工は空振りしてしまったけれど、ぼくはあちこちの露店の試食に手を伸ばしつつ、数十店舗が立ち並ぶ路地を行ったり来たりした。すると試食だけで、お腹がいっぱいに……。
しかも、気づけば両手に安くて美味しそうな野菜やら魚の干物やらの袋がぶら下がっているのだった。
四〇〇年以上もの昔から脈々と続くここ勝浦の朝市は、知らぬ間に財布のひもが緩んでしまうという「愉しい魔力」を備えているようである。

◇ ◇ ◇
朝市を愉しんだついでに、いまや勝浦の新たな名物として定着した感のある「勝浦タンタンメン」を食べることに。
あのB級グルメの祭典、「B-1グランプリ」でゴールドグランプリを獲得したラーメンだけに、ご存知の読者も多いだろう。
たっぷりのラー油で真紅に染まったスープこそが「勝浦タンタンメン」の最大の特徴だが、これ、決して上品でもなければ、特別な美味とも思えない。しかし、それでも「旨い」のである。一度味わうと、なんとも言えずクセになるような「乱暴な旨さ」を秘めているのだ。そして、この乱暴さが脳にこびりついて、忘れられなくなって−−、で、うっかりまた食べてしまう。
「美味い」ではなく「旨い」。

これが「勝浦タンタンメン」の人気の秘密なのだと思う。
そもそも、どうして「勝浦タンタンメン」が生まれたのかというと、海仕事で冷え切った海女さんや漁師たちの身体を温めるために開発されたのだそうだ。たしかに、これを食べ終わる頃には、頭のてっぺんから汗が吹き出しているほどだから、冷えた身体も芯まで温まるだろう。
勝浦市内には、このタンタンメンを食べさせる店がたくさんある。しかも、店によって味に個性があるので、辛党の方は食べ比べを楽しんでみるのも悪くないだろう。
◇ ◇ ◇
午後になって、ぼくは車で館山市まで南下した。
知る人ぞ知る南房のご利益スポット、「常楽山 萬徳寺」で参拝するのだ。
翠緑映える山のふもとの駐車場に車を停め、そこからえっちらおっちらと森の中の坂道を登っていく。

すると、ふいに視界が開けて、目の前に、デーン!
クジラと見紛うほど大きな涅槃仏が忽然と現れるのである。
体長一六m、高さ三・七五m、重さ三〇t。

ガンダーラ様式の青銅製の涅槃仏としては、東洋一を誇る大きさの涅槃仏だ。
ぼくがここを訪れたのは三度目だが、何度見ても、この迫力には唸りたくなる。
ちなみに涅槃仏とは、釈迦が八〇歳で解脱し、入滅(死ぬこと)したときの姿を現した仏像のことだ。
ここ萬徳寺には、いわゆる拝殿や本堂といった「社」がなく、境内全体が聖地とされている。鬱蒼とした樹々に囲まれた自然のなかに、ただ、ただ、巨大な涅槃仏がデーンと横たわっている––、というシンプルな光景は、むしろ荘厳で、参拝者の胸を打つ。
この寺、願掛けをする際の参拝方法もまたユニークである。
手順をざっと書くと、こうなる。
一、まずは五本の線香を備える(仏・法・僧・先祖・自分に手向けるための五本)。
二、中央で合掌し、お辞儀。
三、螺旋状になった台座を右回りに三周歩き、涅槃仏の足の裏の前に立つ。
四、両手を涅槃仏の足の裏に当て、さらに額も当てて、所願を祈るのだ。萬徳寺の涅槃仏は、大願成就のほか、とりわけ足腰の健康にご利益があると言われている。

ちなみに、このユニークな参拝方法は、インド式の礼法で「右繞三匝(うにょうさんそう)」というそうだ。
さて、参拝(と取材)を終えたぼくは、境内の隅の白いテントにいる女性の管理人さんにご挨拶をした。
ついでに軽く雑談をしていたら、なんと、この管理人さん、ぼくの本の読者だというではないか。
ご利益スポットでこういう嬉しい出会いがあると、それだけで、なんだか気持ちがほくほくするし、未来にいいことがありそうな気さえしてくる。
ぼくは、ありがたい管理人さんと握手をしつつ「また来ます」「ぜひ」と約束を交わして、この聖なる山を降りていったのである。

【勝浦朝市】
開催場所:毎月1日〜15日 下本町朝市通り
毎月16日〜月末 中本町朝市通り
アクセス:JR勝浦駅より徒歩10分
営業時間:6:00−11:00(天候によって変動あり)
定休日:毎週水曜日・元旦
https://www.city.katsuura.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=29165
【常楽山 萬徳寺】
〒294-0223
千葉県館山市洲宮1571
TEL:0470-28-2013
http://tateyamacity.com/archives/2729
※本記事は夏季に取材しております
作者:森沢明夫
写真:鈴木正美
写真アシスタント:重枝龍明
編集:西小路梨可(主婦の友社)

