ぼくの母校・県立市川東高校から歩いていけそうな、とても懐かしい地区に穂積実さんの工房はあった。
江戸つまみかんざしの「夢工房」である。
江戸つまみかんざしとは、その名の通り江戸時代から続く伝統工芸品のひとつで、羽二重とちりめん(いずれも絹の布地)を正方形に切り出して、それをひょいとつまんで折りたたんだものを組み合わせることで、美しい花や鳥などを表現する技法のことである。

繊細で華やかなそのかんざしは、七五三や成人式を迎えた女性のほか、舞妓さんの髪なども飾っている。
最近では、洋服に合わせるアクセサリーとしての需要も増えつつあるそうだ。
穂積さんが作る江戸つまみかんざしは、千葉県と東京都の伝統的工芸品に指定され、しかも、卓越技能賞と市川市民文化賞なども受賞している。最近では、市川市のふるさと納税の品にも選定されているとのことだ。
いやはや、そんなに凄い伝統工芸士が、我が母校の近くにお住まいだったとは……。

そんな穂積さんの出身地は、福島県郡山市。
中学を卒業してすぐに「丁稚奉公」で、つまみかんざし職人の石田竹次氏に師事したそうだ。
「修行期間の十年と、小中学校の九年–––、合わせて十九年間、無遅刻無欠席だったのが私の自慢なの。丈夫な心と身体を作ってくれた親に感謝だよね」
そう言って笑う穂積さんの年齢は、なんと八四歳。
しかも、二八ミリ四方の小さな布をピンセットで折りたたむという非常に細かい仕事をしているのに、眼鏡さえいらないというから驚きだ。

ちなみに、ご趣味は?
と訊ねてみたら、「登山(かなり本格的)と、同人誌に向けた執筆活動かな」とのご返答。
なるほど、そう聞くと、心身ともに鍛えられていそうではある。しかし、実際にご本人が醸し出しているものは、強靭さというよりもむしろ好々爺といった穏やかな空気だ。取材のあいだも冗談をぽんぽん飛ばしては、終始にこにこ笑っているのである。

穂積さんは、伝統工芸士として伝統の技を守る「番人」でありつつも、こつこつと技術革新を起こし続けてきたアイデアマンでもある。
たとえば、花びらの角を丸くする技法を生み出したり、花びらをつける台紙の形を星型にすることで、手早く均整のとれた作品を作ることに成功したり、さらにはベロの付いた「ぱっちんどめ」のかんざしを考案することで、日本髪を結わずとも髪を飾れるようにするなど、とにかくオリジナリティあふれる作品を続々と生み出してきたのである。


江戸つまみかんざしの製作工程は、ざっと以下の流れになる。
・服飾用の裁断機で布地を正方形に切る。
・正方形に切った布地をピンセットでつまんで、折りたたみ、花びらの形にする。
・折りあげた花びらを、糊を薄く塗った板の上に並べていく(このとき、花びらに糊が着く)。
・花びらが一定数たまったところで、針金のついた台紙に花びらを載せ、接着していく(花びらを載せる作業を「葺く(ふく)」という)。
・台紙に花びらがついたら、花の中心に花芯となる飾りを載せて、これで一輪の花は完成。
・上記の流れでいくつかの花ができたら、それらの「茎」にあたる針金の部分を絹糸(最近はレーヨン糸も使う)でブーケのように巻いて束ねる。
・束ねたものに、ゆらゆら揺れる「下がり」とよばれる飾りを付ける。
・最後に、かんざしの足(棒の部分)や「ぱっちんどめ」などに付けて、ようやく完成。

せっかくなので、台紙に花びらを葺いて花芯をのせるまでの工程を体験させてもらうことに。



正直いうと、穂積さんがあまりにも簡単そうにひょいひょいとつまんでは折るものだから、「ん? これならぼくでも出来るんじゃない?」なんて、浅はかことを思っていたのだけれど……、見るのとやるのとでは大違い(当たり前だけどね)。
そもそも、正方形の布を対角線に折って三角形を作るという第一段階ですら、角がぴったり揃わなくてもたついてしまうのだ。
悪戦苦闘しているぼくを横から見つつ、穂積さんは「うん、上手だね」と、いちいち褒めてくれる。その言葉に励まされながら、なんとか一輪の花を完成させた。
「うん、いいのが出来たじゃない。私なんて十年も修行したのに、あなたはすぐに上手に出来ちゃってさ。羨ましいよなぁ」
と、穂積さんが冗談を言うので、「やぱ千葉」取材チームは思わず吹き出したのだった。

最後に朗報をひとつ–––。
伝統工芸といえば「後継者問題」が取り沙汰されることが多いが、穂積さんのところは安心だ。というのも、息子の裕さんの作品が、すでに県の伝統工芸品として認定されているのである。
「息子が継いでくれるのは、とても嬉しいことだよね」
と穂積さんは、相変わらずのにこにこ顔だけれど、この人は心身ともに強靭すぎる職人さんなので、当分は現役でいてくれるに違いない。

【つまみ細工 夢工房穂積】
〒272-0805
千葉県市川市大野町1−408
TEL:047-337-0231
※2020年2月時点の内容です。
作者:森沢明夫
写真:鈴木正美
写真クリエイティブマネージメント:重枝龍明
編集:西小路梨可(主婦の友社)

