やっぱり千葉が好き! 第6回
明治の徳川邸の風趣を味わう 〜戸定邸・庭園
石段を登り切って鄙びた茅葺きの門を抜けると、そこは別世界だった。
ぼくは威厳たっぷりの樹々たちを見上げながら、「気持ちのいいところだなぁ」とつぶやき、ゆったりと深呼吸をひとつ。
緑風が吹き抜ける明治時代の庭園。
ここは戸定邸のある庭である。
戸定邸とは、徳川家最後の将軍となった慶喜の弟、徳川昭武が1884年に座敷開きをした邸宅のことで、その庭もまた昭武の趣向によって作られたものだという。
そもそも歴史音痴なぼくは「徳川昭武って、誰?」というレベルだったのだけれど、しかし、この場所は一発で気に入ってしまった。松戸市の街中とは思えないような清々しさに包まれて、さーっと内側から浄化される気がしたからだ。

この清々しさの具体的な理由が何なのかは、正直、よくわからない。
何の根拠もなく「ただ、なんとなく、いい」のだ。
じつは、こういう「根拠のない好き」というのは「最強の好き」である。下手に根拠があると、その根拠が崩れたときには嫌いになってしまうこともあるが、根拠がなければ嫌いになりようがない。だからこそ「なんとなく」が最強なのである。これは恋愛にも言えるし、目標にチャレンジする際の「自信」にも共通している。根拠のない自信を持っている人は、どれだけ失敗しても自信が揺らがない。そもそも自信に根拠がないから、揺らぎようがないのだ。だから、そういう人は何度でもチャレンジと努力を繰り返し続けて、いつか成功をおさめる確率が高くなる。一方、自信に根拠がある人は、その根拠が崩れたときに自信も一緒に失ってしまうので、そこでチャレンジも努力もやめてしまう。結果、成功する確率が低くなる。
なんだか脱線してしまったけれど、とにかくぼくは、この場所に関しては何の根拠なく、ただ感覚的に「好き」だと思ったのだった。
◇ ◇ ◇

戸定邸のなかを拝見させてもらった。
木造平屋(一部のみ二階建て)の、気品漂う広々とした家屋である。とはいえ、かの徳川家の人間が住んでいたにしては、まったくと言っていいほど華美さがない。これは明治維新によって権力を失った徳川家の生活様式の変化がストレートに顕されているのだろう。
ひたすらお金をかけた絢爛豪華さに驚くのもいいけれど、ぼくは、どちらかというと日本らしいわびさびを感じさせるこの家の方が好きだ。ただそこに居るだけで気分が落ち着く。あえて例えるなら、ここは京都の美しい町家の風情を残しつつ、その規模を大きくした邸宅、といった感じだろうか。

広々とした客間の窓越しに咲き誇る花は、なんと樹齢200年を超えるツツジだそうだ。しかも、その先には、江戸川が流れる雄大な風景を見下ろせる。さらに天候さえ良ければ遠く富士山も望めるという。
現在は、江戸川の周りに近代的な住宅やらビルやらが建っているけれど、ぼくは江戸から明治時代にかけての風景をイメージしながら、その雄大な風景を眺め下ろした。するとぼくの脳内スクリーンには、まさに浮世絵にしたくなるような絶景が映し出されるのである。
いま流行りのVRを装着して、当時の映像を見るのも面白いだろうけど、小説家はこうして過去を「妄想」するのが大好物なのだ。ただで、しかも思い通りに風景を描けるうえに、ロマンチックな気分に浸れるのがいい。


この邸内には立派な中庭や牢屋を思わせる内蔵(刀など大切な物を保管していた場所)もある。離れの座敷も合わせると、部屋数は23あるそうだが、居室だけでなく古の湯殿や便所などを見られるのも当時の生活を想像できて面白い。
とある小さめの部屋を見ていたとき、ふと四隅にリング状の金具がついていることに気がついた。しかも、それぞれ上下に二つずつある。蚊帳でも釣っていたのかな? と思ったけれど、実際のところは、何に使われた金具なのかは不明だそうだ。
この邸宅にも文献では調べきれない生活の「謎」がたくさん残されているという。そう思ってあらためて戸定邸を眺めてみると、柱や欄間のひとつひとつまで、いっそうロマンチックに見えてくる。
◇ ◇ ◇

庭園をぶらりと散策してみた。
なだらかに波打つ広場は青々とした芝生で覆われているのだが、これは西洋技法による芝生面だそうで、国内で現存最古のものだという。
庭をゆったり眺めると、とても心地いい間隔でもって様々な樹木が植えられていることに気づく。風が吹けばさやさやと頭上から葉擦れのささやきが降ってくる。しかも、足元にはハチミツ色をした木漏れ日が揺れている。
紅葉の木も多いから、秋にも絶景が展開することだろう。
ぼくが訪れた日には、大ぶりな鉢に植えられた藤の花がずらりと並べられていて、観光客たちの目を楽しませていた。紫と白の花々の周りには無数のクマバチが蜜を吸いに集まっていて、ぶーん、ぶーん、と豪快な羽音を立てて飛び回っていた。
庭の隅っこの日陰を見ると、蝶々のような花びらを誇るシャガが群生して咲いている。
まあ、とにかくこの庭は、どこから、どこを眺めてみても絵になるのだ。
あまりにも居心地がいいので、ぼくは芝生の広場であぐらをかき、青空を見上げながら「んー」と伸びをした。


近くの梅の木の枝には、若い実がたわわに実っている。集めて梅酒でも作りたくなる。
庭の起伏はやわらかな曲線を描いていて、風景をやさしくしていた。良い庭を作るためには、何はさておきその「地形」が大切なのだそうだが、この庭を見ていると、なるほど、と唸りたくなる。ちなみに徳川昭武は、作庭家としても高い評価を受けているという。

◇ ◇ ◇
戸定邸の隣には、松戸市が昭和53年に建てた茶室「松雲亭」がある。

この日はボランティアの方々が抹茶をふるまうサービスをしてくれていたので、いただくことにした。一服500円也。
「お茶菓子はね、最初にすべて食べちゃうの。それからお抹茶をいただくのが作法なのよ」
上品なおばあさんがぼくたち取材班に教えてくれた。訊けば、この方、戸定邸と庭園を案内するボランティアのガイドさんだった。
「この庭にはね、桜がすべて散ったあとに、イヌザクラが咲いているの。白くて、ブラシみたいな地味な花なんだけど、ちょうど今が満開。とっても可愛らしくて素敵だから。ちょっと見ていかない?」
にっこり笑って誘ってくれた。
イヌザクラなんて、はじめて聞いた。
ぼくは抹茶を飲み干して、おばあさんの小さな背中に従った。
案内されたのは、庭の外れの人目につかない斜面だった。

「ほら、あの白い花がイヌザクラ。桜らしい花びらがないから、誰にも注目されないけれど、でも、この庭が作られる前から、毎年、一生懸命に咲いているのよ」
満開のイヌザクラの巨木は、たしかに「桜」とは似ても似つかないほど地味な花を咲かせていた。見た目は栗の花のようである。
そもそも、名前の頭に「イヌ」とつく植物は、「食べられない」「使えない」ものが多く、たいていは本物より劣るとされる植物なのだ。イヌタデ、イヌビワ、イヌニンジン、イヌキクイモ、イヌムギ……、とまあ、いろいろあるが、このイヌザクラも「美しくない」という意味では同様なのだろう。
それでも、この庭が作られる前から――つまり、軽く100年は生き延びてきたであろう天然の巨木は、ぼくに感慨を抱かせるには充分な存在だった。
「ここはね、いろんな時期に、いろんな表情を見せてくれる庭ですから、またいらしてね」
ガイドのおばあさんが、地味な花の下でそう言った。
ぼくは「はい」と素直に答えつつ、胸裏でイヌザクラにも「また来るよ」と約束していた。

【戸定邸】
〒271-0092
松戸市松戸714-1
URL: https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/
作者:森沢明夫
写真:鈴木正美
写真アシスタント:重枝龍明
編集:西小路梨可(主婦の友社)

