ほっと、人、あんしん。京葉ガス

ともに With you 千葉

ほっと、人、あんしん。京葉ガス

presented by SHUFUNOTOMO

やっぱり千葉が好き! 第1回 鉄の馬と黒い渚 〜ふなばし三番瀬海浜公園

こうありたい自分と、そうなれていない自分。

高校生の頃のぼくは、そのギャップにいつも苦しんでいた気がする。朝起きた瞬間から世界はなんとなく憂鬱だったし、夜はたいていあれこれ考えすぎて不眠症気味だった。自分という存在も、自分に与えられた環境も、ちっとも愛せないような少年だったのだ。我ながら、ちょっとかわいそうなガキだったなぁ、と哀れに思う。

それでも十六歳のときにオートバイの免許を取り、必死にアルバイトをしてSUZUKIの250㏄のオートバイを中古で買った。もちろん学校ではバイクもアルバイトも禁止されていたけれど。

自分の思い通りに猛スピードで動いてくれる「鉄の馬」を手に入れたぼくは、同時に、喉から手が出るほど欲しかった「自由」を手にした。

ガソリンさえあれば、どこにだって行ける──。

それまでとても窮屈だったぼくの住む世界は、オートバイのおかげで一気に百倍くらいに広がった。淀んでいた人生に新鮮な風が吹き込まれたのだ。

腐った心を抱えて、部屋のなかでじっと膝を抱えていると、いつしか周りの空気まで腐ってくる。でも、オートバイにまたがって自分が動けば、そのとき周りの空気は新鮮な風になった。

 

風は、待つものではなく、自分で動いて起こすもの。

高校生の頃のぼくは、常に風を浴びていないと心が腐りそうだったから、苦手な数学のある曜日ともなると、しばしば授業をサボってオートバイにまたがり、思い切りスロットルを回した。

目指す先は、たいていは海だった。

ぼくは小さな頃から、海がとても好きなのだ。

茫洋とした水平線までの距離感。なめらかな潮騒。湿った海風の肌ざわり。そして、無数の生き物たちを育む豊かな塩水の匂い。どれも好きだ。

当時のぼくがもっとも足繁く通った海は、地元にある「ふなばし三番瀬海浜公園」の海だった。うちからオートバイで十分も走れば到着する、身近な遠浅の海だ。

 

この海は、埋め立てでコンクリートだらけになってしまった東京湾奥に残された広い干潟として知られている。無機質な工業地帯のなかで、ここだけは風景がやわらかくていい。そのやわらかさに包まれたくて、弱い心をトゲトゲさせた高校時代のぼくは、たびたびこの渚に通っていたのだと思う。

晴れた日には房総半島も神奈川の街並みもくっきりと見えるし、海の向こうには富士山のシルエットがそびえ立つ。しかも、年に二度、ダイヤモンド富士が見られるチャンスもやってくるのだ。

とはいえ、ここは東京湾奥──、正直、南国の海のような美しさも明るさもない。渚は砂鉄のように黒いし、海はたいてい笹濁りだ。それでもここは東京湾の「命のゆりかご」と呼ばれるほど、魚、カニ、渡り鳥、貝類といった無数の生き物を育む重要なフィールドなのである。

 

かつて、この海浜公園にはプールや釣り堀、卓球場などのレジャー施設があって、ぼくもよく楽しんでいた。一人のときは、海を見晴らす芝生の丘のてっぺんにレジャーシートを敷き、ごろごろ寝そべりながら文庫本を読み耽ったり、のんびり昼寝を楽しんだりしたものだ。その昼寝から目覚めたときに見た、マンゴー色にきらめく東京湾の艶かしいような光景は、大人になったいまでも鮮明に覚えている。

一人ぼっちで眺めた海。

恋人や、友人たちと肩を並べて眺めた海。

いろいろな思い出がぎっしり詰め込まれたこの公園と渚を、小説家になったぼくは「えこ贔屓」した。地元を舞台に描いた小説、「きらきら眼鏡」に、実名で登場させたのだ。しかも、とても大切なシーンの舞台として。

この小説は映画化が決まっていて、先日、無事にクランクアップを迎えた。いまは編集中で、公開は2018年の下期の予定だそうだ。果たして、ぼくが「えこ贔屓」した思い出の渚は、銀幕にどう映るのだろう。考えると、わくわくしてくる。

 

残念なことに、現在の海浜公園には、かつてぼくが遊んだプールも釣り堀も卓球場もない。東日本大震災のときに施設のあちこちが損傷し、液状化を起こしたため、思い出もろとも取り壊されてしまったのだ。その代わりに出来たのが、芝生広場、噴水、展望デッキ、そして、環境学習館と呼ばれる施設だった。

ぼくの「思い出の跡地」に造られた、出来たてホヤホヤの環境学習館とやらを訪れてみた。

 

正直いうと、あまり期待をしていなかったし、一抹の淋しさをぬぐえないままの往訪だった。しかし、結論から言うと、思いがけず愉しめてしまったのだ。施設の名称に「学習」とあるものの、実際は「遊びながら学べる」ゲーム感覚を取り入れた施設だったのがよかった。これなら子供たちも喜ぶだろうし、ネイチャー系が大好物なぼくが、思わず「へえ」と言ってしまうような雑学まで内包しているから、大人もきっと愉しめると思う。

ぼくの「思い出の跡地」に造られたこの真新しい施設もまた、いつかは、いまの子供たちにとっての「思い出の場所」となるのだろう。

時代は巡るんだな。

 

環境学習館を出で、夕刻の公園内をぶらぶら歩いた。

初冬の海風が吹き抜け、ぼくはコートのファスナーを閉める。

かつて読書と昼寝を愉しんだ芝生の丘は健在だ。

 

未熟なぼくを癒してくれた干潟の海も、変わらず黒々と広がっている。

丘を下りて、黒い砂を踏みしめ、渚に立った。

むっちりと濃厚なアオサの匂いのする海風。

西の空を見ると、夕日がみるみるその色を変えながら落ちていく。シルエットになった富士山は、頭が雲に隠れて麓しか見えないけれど、その手前にある観覧車は夢のようにキラキラと光りはじめた。小説にも書いた、かつてのぼくお気に入りの風景だ。

 

海を見て左手にある、長い防波堤に向かって歩き出した。

松の防風林に住み着いた野良猫たちが、人を値踏みするような目でぼくを見る。砂浜から茎を伸ばした仙人草は、綿のついたヒトデ型の果実をたくさん実らせていた。

防波堤の付け根の浅瀬には、台風で流れ着いたゴミがあふれていて、どこか悲しげにぷかりぷかりと浮かんでいた。

 

いまのぼくは、良くも悪くも高校時代のぼくとは違う。

筆が走らず悶々とすることはあれど、自分も、環境も、ありのままに受け入れて、そこそこ愛せるようにはなってはいる。夜なんて、不眠どころか、布団に潜り込むのとほぼ同時にストンと眠りの世界に落ちてしまうくらいだ。食欲もあるし、ジムでトレーニングもしている。

なんだか、ちょっと格好悪いくらいに健全だよな……。

もちろん、こうありたいと思う自分のイメージも様変わりした。相変わらず「理想の自分」には届かないままだけれど、それでも、ほんの少しは近づけたようにも思う。いや、到達への道筋が見えてきた、と言う方が正しい気がする。道筋さえ見えていれば、未来に迷う心配はない。だから、きっと、いまはもう高校時代のような腐った気分にはならないのだろう。

そんなことを思いながら、ぼくはゆっくりと防波堤の上を歩き出した。

 

アオサの匂いのする冷たい海風が吹き付けて、耳たぶを冷たくする。

西の空は熟した柿色の夕日に染められ、海原もまた同じ色で輝いている。

 

たぷん。たぷん。

防波堤の際で鳴る、甘い水音。

慣れ親しんだ海は、やっぱり落ち着く。

これからは、ちょくちょく執筆の合間に「小さな癒し」を求めてこの渚を眺めに来ようと思う。一昨年、新車で買ったHONDAの鉄の馬にまたがって。

ようやく防波堤の先端にたどり着いた。

つるべ落としの夕日は、対岸の街のさらに向こうへと沈んでいく。

一番星と出会える頃には、観覧車がいっそう輝きを増す。

夕暮れから、夜景へ。

 

高校時代、無駄にセンチメンタルな気持ちで眺めたこの風景は、きっとこれから先もほとんど変わらないだろう。

そう思ったら、ため息がこぼれた。

 

人生のなかに、たったひとつでもいい。いつ訪れても胸がキュンとなるような「思い出の場所」を持っておくのも悪くないのではなかろうか。

 

 

【ふなばし三番瀬海浜公園】

〒273-0016

千葉県船橋市潮見町40

TEL:047-435-0828

URL:http://www.sambanze.jp

 

作者:森沢明夫

写真:鈴木正美

編集:西小路梨可(主婦の友社)